協働から共創へ那覇市議会議員 上原仙子 公式ホームページ

上原ひさこ通信

那覇市議会議員「上原ひさ子」の議会活動報告ニュースレターです。

上原ひさこ通信

那覇市議会議員「上原ひさ子」の議会活動報告ニュースレターです。

2025年03月発行

昨年は能登半島地震に始まり、4月には台湾東部沖地震による津波警報が沖縄県にも発令され、即座に避難行動が求められました。また、台風には慣れているつもりの私たちですが、11月の本島北部豪雨被害はこれまでにない経験となり、那覇市内においても5月、6月の梅雨時、大雨による浸水や冠水が地域で見られました。災害はいつ起きるかわからない、より身近なものと感じる一年だったのではないでしょうか。

いざという時の「地域防災力」。これをどのように高めていくか。一朝一夕にはいかない地道な活動ではありますが、市民と地域と、そして行政がしっかりと連携できる取組みをこれからも推進していきたいと思います。

こども 弱視の早期発見に!乳幼児健診で検査機器を導入

弱視は早期発見・早期治療が肝要という観点から、乳幼児健診時に検査機器の導入を以前より提案してまいりました。

全国的にもその理解が進み、令和4年度から国の新規事業として乳幼児健診の備品整備に対し予算措置が取られ、半額補助の上、スポットビジョンスクリーナーなどの機器を使った屈折検査の導入が推進されています。

那覇市でも令和4年度からこの補助金を活用して機器を導入し、3歳児健診の充実を図っているとのこと。成果としては、眼科の要精密検査が令和3年度は72人で全体の2.9%であったものが、令和4年度には221人、8.8%と大幅に増え、実際に弱視の早期発見も2人から27人に増えたとのことでした。弱視の早期発見につながっていることがわかります。

令和5年度の3歳児健診受診率が89.2%。残り10%の未受診者の中にも精密検査が必要なお子さんがいることが推測できます。さらなる受診率のアップを目指すことを要望しました。

地域コミュニティ やがて築50年 共同利用施設の建替計画について

那覇市には現在、8つの共同利用施設があり、小禄地域の田原・安次嶺・宮城・高良・宇栄原・当間・小禄、そして真嘉比の自治会館として地域の活動拠点となっています。

共同利用施設は旧運輸省や旧防衛施設庁の補助金を活用して昭和54年(1979)~58年(1983)に建設され、あと数年で築50年を迎えます。老朽化し使用できなくなる前に、これらの施設を計画的に建替えを行うことを基本に、今、それぞれの地域と那覇市で情報の収集や意見交換が行われています。今後は建設委員会の設置等を進め、その中で地域の声がしっかりと反映された、地域のための施設となるよう取り組んでまいります。

防災 地域の冠水対策・早期の対応を

最近の大雨は想定以上の雨量を伴い、小禄地域や首里石嶺町等で冠水被害をもたらしました。左写真の小禄交差点では排水路から溢れる水が、車道、歩道を埋め、歩行者にとってはもちろん、車も運転不能になるなど影響があり、その対策を求めました。

那覇市では令和6年度から「雨水管理総合計画」の策定を始め、シミュレーション、分析等を行い、今後、具体的な対策に繋げていくとしています。根本的な解決を今後も求めます。

協働によるまちづくり活動拠点の整備を! 明石市の視察から

那覇市が進めている小学校区を単位としたコミュニティづくり。現在、市内36の小学校区のうち15校区でまちづくり協議会が設立し、4校区で準備会が立ち上がっています。自治会やPTA、学校、民生委員、企業・事業所など、地域に関わる誰もが参加できることが特徴です。地域の課題を共有し、一緒に解決を図りながら、人と人、地域のつながりを広げ、深めていくことを目指しています。

昨年7月、その先進地である明石市へ視察に行ってまいりました。明石市では、校区まちづくり協議会を支援するための中間支援組織の存在や、活動拠点としてコミュニティ・センターが全校区に設置され、そこに常駐する人がいて、事務所や会議室の機能も備え、地域の人が集い、子どもたちの居場所にもなっているという非常に羨ましい環境がありました。

これまで何度も活動拠点の整備を求めてきましたが、今回の視察を通してその必要性を改めて感じました。地域と学校の連携にも大きく関連することです。その仕組づくりも含め、実現できるようこれからも取り組んでまいります。

地域と学校の協働地域学校協働活動推進員

教育委員会では、学校と地域が連携・協働して子どもたちの学びや成長につながる活動を推進するため、学校と地域をつなぐ地域学校協働活動推進員を配置しています。令和6年度に3人、令和7年度はさらに14人を追加予定で、その後は全校に配置を目指しています。人選は学校長の推薦を受けてとのことですが、コーディネーターとして大事な役割を担う地域人材であるため、地域の校区まちづくり協議会や自治会等との連携を図ってほしい旨要望しました。

地域と学校の協働学校運営協議会 (コミュニティ・スクール)

令和6年度に第1期導入校として3校(小2・中1)、令和7年度に第2期導入校として4校(小3・中1)、令和9年度までに全校への学校運営協議会の設置を予定しているとのこと。地域や学校の理解、人材確保の課題もあり、かなりのハードスケジュールだが、単に数を満たすものとならないよう求めました。

公園 与儀公園のD51は

与儀公園に展示されている蒸気機関車D51は、沖縄の子どもたちの願いに応え、昭和48年(1973年)に当時の国鉄職員はじめ全国の方々からの寄付により贈られました。その経緯から現在は教育委員会が所管となって、維持管理を行っています。

現在、旧市民会館跡の新真和志複合施設の整備と併せて与儀公園の再整備計画も進められる中で、D51も公園施設として利活用できるよう整備するべき。そのためには教育委員会と関係部局の連携が必要だと求めました。当局からは、より効果的な整備を進めると共に、D51をどう生かしていくかについても教育委員会と連携して進めていきたいとの答弁が得られました。

地域防災 それぞれの地域で取り組む”防災イベント” ぜひご参加ください!

防災に対する意識の高まりから、今年度は特に地域での様々な形の”防災イベント”が目を引きます。子どもたちが楽しく学ぶ「リッカ!ヤールーキャラバン」。公園や学校体育館等で行われる「防災キャンプ」。今年初めて開催された「天久小学校防災中」や垣花小学校での「防災運動会」。その他、避難訓練等も工夫を凝らして取り組んでいます。大切なのは、そこに地域の大人や学生、子どもが関わっていることです。多くの市民の皆様に参加していただきたいと思います。

2025年05月発行

地域へのこだわり協働によるまちづくり

私が地域活動に関わるようになったきっかけは、小学6年生の夏休み、地域の子ども会で班長を任されたことでした。みんなの声にどう応えたらいいか悩む私を支えてくれたのは、両親や地域の大人たち。その温かさに触れた体験が、私の原点です。

大学では地域社会学を学び、特に高齢者と地域のつながりに関心を持ちました。卒業後、地元に戻って改めてふるさとの魅力や課題に気づき、「自分にできることは何だろう」と真剣に考えるようになりました。

子どもからお年寄りまで、さまざまな世代の声に耳を傾ける中で、地域のつながりこそが安心して暮らせるまちの土台だと実感しました。そして、その橋渡し役となることを決意し、市議会議員を志しました。

これまで二期八年、「なはに全力!」の想いを胸に、市民の声を市政へ届けてまいりました。これからも、誰もが笑顔で暮らせるまちを目指し、皆さまとともに歩んでいきます。

こども 乳幼児家庭への支援について

那覇市では、生後4か月までの赤ちゃんがいるすべての家庭に対し、保健師や助産師が訪問し、赤ちゃんの発育やお母さんの体調を確認する「こんにちは赤ちゃん事業」を行っています。

こんにちは赤ちゃん事業(2024年4月~11月末実績)
  • 訪問対象世帯: 1,555世帯
  • 訪問完了世帯: 1,454世帯 (訪問率93.5%)
  • 支援が必要と判断された世帯: 19件 (1.7%)

妊娠中の段階からも、保健師・助産師による面接相談が行われており、今年度は677世帯の支援が確認されています。

産後の育児・家事の支援も充実へ

出産後は、心身ともに不安定な時期。育児や家事の負担を少しでも軽くできるよう、次の支援も行われています。

子育て世帯訪問支援事業(那覇市社協に委託)
  • 育児 (オムツ交換・寝かしつけお風呂・離乳食づくりなど) を支援。
  • 訪問件数: 963件 (49世帯利用 / 支援員9人・コーディネーター2人)
  • 予算: 約865万円

※買い物や掃除などの家事支援は、他の支援制度と連携して対応しています。

利用者の声とこれから

「子どもを安心して任せて休めた」「支援が励みになった」といった声が届いており、多くのご家庭で心強い存在になっています。

一方で、支援員の体制強化や支援内容の拡充が今後の課題です。那覇市では、委託先の追加なども視野に入れながら体制の見直しを進めています。

ひとりで頑張りすぎず、支援の手を借りられる仕組みづくりは、安心して子育てできる社会に不可欠です。これからも、すべての親子に寄り添う取り組みの充実を求めてまいります。

また、このような支援に辿り着けない親子がいるのも事実。支援団体等との連携をどのように図っていくのかも今後取り組むべき大きな課題です。

道路・公園改修・改善を求めて

身近な課題には、様々な要望や相談が寄せられます

  • 県道7号線小禄交差点の安全対策を実施 (仲村県議と共に要請)
  • 市道鏡原小禄線 植栽の雑草対策や街路樹の剪定で環境の改善を図る
  • 市内の雨水排水路には雑草が繁茂 生活環境改善のため、対策を求めた
  • 漫湖公園バスケットコートでボールが後方の水路に落ちて危険なため、既存フェンスを嵩上げして対策

戦後80年によせて

終戦は昭和20年(1945年)。私はその20年後に生まれましたが、子どもの頃は戦争を遠い昔の出来事のように感じていました。けれど、年を重ね、祖母や両親をはじめ多くの方々から話を聞く中で、当時の苦労や悲しみを少しずつ自分ごととして受け止められるようになりました。先人たちの犠牲と努力の上に、いまの沖縄の復興と平和があることに、改めて感謝の思いが湧いてきます。

鹿児島県の鹿屋基地は、日本で最も多くの特攻隊員が飛び立った場所として知られています。太平洋戦争中、16~17歳の学徒として沖縄から入隊した父は、出撃こそしなかったものの、日々仲間を見送る苦しみを胸に抱えていたようです。その思いは多くを語られぬままでした。

しかし退職後、父はひとり鹿屋を訪ね、慰霊碑の前で涙する姿が写真に残っています。その写真を見たとき、父の抱えていた思いを感じ、胸が締めつけられるような気持ちになりました。

父はすでに他界しましたが、いつか私も鹿屋を訪れたいと願い続け、戦後80年の節目にようやくその機会を得ました。父の代わりに、若くして命を落とした多くの御霊に手を合わせ、少しでも父の心に寄り添いたいという思いで、静かに祈ってきました。

平和であることは、決して当たり前ではありません。誰もが願う穏やかな日常を守るために、過去に学び、心を寄せ続けることの大切さを、あらためて胸に刻んでいます。